欧州文化首都 GO! 2025 — 国境の上でサンドイッチを焼く

Buzz Cultural Association レジデンシー
Buzz Cultural Association(ゴリツィア、イタリア/ノヴァ・ゴリツァ、スロヴェニア)
2025年5月滞在
レジデンシー:欧州文化首都 GO! 2025

2025年5月、イタリア・ウーディネを拠点とする文化団体 Buzz Cultural Association(Associazione Culturale Buzz)のアーティスト・イン・レジデンス「AROUND」に参加した。ノヴァ・ゴリツァ(スロヴェニア)とゴリツィア(イタリア)が国境をまたいで史上初めて共同で務めた欧州文化首都「GO! 2025」の関連プログラムで、「国境」をテーマに4名のアーティストが4日間滞在する。制作した作品は映像や音声のデジタル作品として、地域の地図上にピンで配置されるAROUNDのインタラクティブマップに収められる。

滞在中、2022年から続けている「ホットサンドメーカーズクラブ」のパフォーマンスを行った。ベルリンで出会ったウズベキスタン出身の青年の言葉「I’M FROM HUMAN」を刻印したホットサンドメーカーを携え、かつてひとつの街だった二つの都市の境界線上でホットサンドを焼く。このページでは、そのために調べたこと、現地を歩いて確かめたことを記録する。

サンドイッチの道具を携えてゴリツィアの街を歩く山口累
ゴリツィアの街を歩く(2025年)

ゴリツィア(スロヴェニア語でゴリツァ)は、1500年から第一次世界大戦まで、ナポレオン時代のフランス支配(1809–1813年)を挟みながらハプスブルク家のもとにあり、イタリア語・スロヴェニア語・フリウリ語・ドイツ語が行き交う町だった。七月革命でフランスを追われた最後のブルボン朝の王シャルル10世が亡命し、1836年に没したのもこの町である。第一次世界大戦ではイゾンツォ(ソチャ)戦線の激戦地となり、戦後イタリア領となった。

町が二つに分かれたのは第二次世界大戦後である。1945年5月にユーゴスラヴィア軍が約40日間ゴリツィアを占領したのち、町は英米軍の軍政下に置かれた。国境線は、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連がそれぞれ示した案の中から妥協案の「フランス線」が選ばれ、1947年のパリ講和条約で確定した。旧市街はイタリアに残り、市域の約4割と鉄道駅はユーゴスラヴィア側に切り離された。ユーゴスラヴィアは失った中心都市の代わりとして、1948年から国境のすぐ東側に新しい町ノヴァ・ゴリツァ(「新しいゴリツァ」)を建設する。

国境は当初、ほとんど越えられなかった。1950年8月13日に一日だけ開かれると、ユーゴスラヴィア側の住民が大勢ゴリツィアへ渡り、手に入りにくかった日用品を買い込んだ。箒を掲げて帰る人々の姿から、この日は「箒の日曜日」と呼ばれている。1955年のウーディネ協定以降、国境付近の住民は通行証(lasciapassare/prepustnica)で行き来できるようになった。2004年にスロヴェニアがEUに加盟すると、駅前のトランザルピナ広場を分断していたフェンスが取り払われ、2007年のシェンゲン協定加入で検問そのものがなくなった。

ゴリツィア/ノヴァ・ゴリツァの国境にあるトランザルピナ広場(ヨーロッパ広場)、イタリア・EU・スロヴェニアの旗が並ぶ
トランザルピナ広場(ヨーロッパ広場)
イタリアとスロヴェニアの国境線を示す、石畳に埋め込まれた金属プレート
広場の石畳に埋め込まれた国境線のプレート
国境の歴史を伝える写真と地図の展示
Muzejska zbirka Pristava

ノヴァ・ゴリツァ側の旧プリスタヴァ国境検問所の建物を使った博物館(Muzejska zbirka Pristava)では、戦後の国境を扱う展示の一角に、色褪せたアメリカ国旗が掲げられていた。展示写真には、「ZONE / FRENCH LINE / ITALY|JUGOSL…」と書かれた標識の前に立つヘルメット姿の兵士が写っている。この町の国境は、イタリアとユーゴスラヴィアのあいだだけでなく、遠く離れた大国の交渉の場でも引かれていた。

パフォーマンスを行ったのは、旧国境検問所カーサ・ロッサ(Casa Rossa)から、国境に沿って走る鉄道の線路づたいに、ラフート(Rafut)の検問所へと続く道である。カーサ・ロッサは「箒の日曜日」に人々が押し寄せた主要な検問所で、その名はかつてここにあった赤い外壁のトラットリアに由来する。ラフートは通行証を持つ住民だけが使えた小さな検問所で、1947年の線引きでは、この通りの家がイタリア側に、家畜小屋がユーゴスラヴィア側に分けられたという逸話が残る。いまは通行証の歴史を伝える小さな博物館になっている。

ゴリツィアとノヴァ・ゴリツァの間に残る、使われなくなった国境検問所
荷物を持って線路沿いの国境付近を歩く山口累
国境沿いの自転車道の脇でホットサンドの準備をする山口累
国境沿いの道に座り、コンロでホットサンドを焼く山口累

具材には、国境の両側を代表する食べ物を選んだ。スロヴェニア側のスーパーマーケットでは、国民食ともいえるソーセージ「クランスカ・クロバサ(kranjska klobasa)」を買った。名前はかつてのハプスブルク領カルニオラ(スロヴェニア語でクランスカ)に由来し、2015年にEUの地理的表示保護(PGI)を受けている。イタリア側では、チーズとじゃがいもを焼いたフリウリ地方の郷土料理「フリコ(frico)」を選んだ。

パンは、星条旗柄の袋に入ったMorato社の厚切り食パン「American TEXAS TOAST」。プリスタヴァ(博物館)でアメリカ国旗を目にしたことが、このパンを選ぶきっかけになった。職員になぜアメリカ国旗が展示されているのかと尋ねたところ、「America is everywhere」と答えたことが妙に心に残っていた。

フリウリ地方の郷土料理「フリコ」(チーズとじゃがいも)のパッケージ
フリコ(フリウリ地方)
スロヴェニア側で購入した真空パックのソーセージ
クランスカ・クロバサ(スロヴェニア)
星条旗柄の袋に入った、Morato社の食パン「American TEXAS TOAST」2袋
American TEXAS TOAST(Morato)

スロヴェニア側でソーセージを焼き、それを手に国境を越えてイタリア側へ渡り、フリコと合わせてひとつのサンドイッチに仕上げるシンプルなパフォーマンスを行った。

携帯コンロの上のホットサンドメーカーにパンをのせる手元
ホットサンドを焼く手元

滞在後、Buzzのスタッフが撮影した映像も含めて素材を編集し、2025年6月に映像作品「HOT SANDWICH MAKERS CLUB – I’M FROM HUMAN – Gorizia–Nova Gorica」として記録されている。作品はAROUNDのインタラクティブマップ上で公開されている。

参考