アートプラクティスとしての歩行、道に迷うこと、流されていくことをめぐるリサーチ

アートプラクティスとしての歩行、道に迷うこと、流されていくことをめぐるリサーチ
東京藝術大学大学院 先端芸術表現専攻(東京・茨城、日本)/パリ国立高等美術学校(パリ、フランス)
2022年–
リサーチ・プロジェクト

歩くことは、遅くて、退屈で、つまらない。だからこそ、道に迷う自由を与えてくれる。効率や生産性が絶対的な価値とされ、絶え間なく届く情報に注意を奪われつづける社会のなかで、私たちは知らず知らずのうちに一定の方向へ押し流されている。そうした流れに完全に身を委ねるのでもなく、といって逆らい続けるのでもない振る舞いはありうるだろうか。2022年から現在まで、私はこの問いを、「歩行」という人類普遍の行為を通して考えてきた。

森のなかの廃線跡の線路の上を歩く人物(《The Railway Walk》)
《The Railway Walk》(2024)

美術に関わる以前、2016年から2020年ごろまで、私は「プロ無職」という肩書きで個人メディアを運営していた。すでに好きなことを仕事にしている人のもとを訪ね、どのようにしてその仕事に辿り着いたのかを、生い立ちや原体験まで遡って聞く。それらを3,000字から4,000字の記事、あるいは10分から20分の映像に編集して公開する。かつての自分のように夢や目標を見つけられずにいる世代へ、既存の職業のリストには載っていない選択肢を差し出せないか、という動機だった。取材した100名を《The 100 interviews》(2020)としてZINEにまとめている。

しかし、続けていくうちにページビューや再生数から逃れられないメディア運営の仕事のジレンマに陥る。ひとりの人生はとても長く複雑で多様なのに、記事として成立するのは数千字、映像なら十数分ぶんしかない。削るたびに前後の文脈が抜け落ち、大事なことほど削った側に残っているように感じた。「バズる」見出しや画像の選び方にはセオリーがあって、それに沿うほど、考えや気持ちの細かなところは単純になり、ときには違うかたちで広まっていく。いろいろな生き方があると伝えたかったのに、実際には、ひとつの価値観を勧めることになっていたのかもしれない。言葉や数字に置き換えずに、複雑なものを複雑なまま出せる方法はないか。そう考えて、美術に関わるようになった。

同じ頃、仏教、とくに禅に関心をもつようになり、同じ石川出身の鈴木大拙と西田幾多郎を読むため、2020年には拠点を金沢に移した。二人の考え方は、自分と世界、主体と客体をはじめから分けない。一方で、欧米で生まれたSNSは、見る側と見られる側、発信する自分と受け取る他者をはっきり分ける。デカルト以来の、主体と客体を切り分ける考え方を、そのままネット上に移したような仕組みにも見える。数字が伸びるほど自分が大きくなっていくような感覚や、言葉で何かを言い切って発信するたびに分断を深め、自分もそれに加担しているような感覚は、この仕組みから来ていたのだと思う。そこで「何にも分かれないまま生きる方法」を研究テーマに、東京藝術大学大学院 先端芸術表現専攻に進学した。

その方法として着目したのが、歩行である。契機となったのはレベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』だった。ソルニットは歩くことの理想を、精神と肉体と世界が対話をはじめ、三者の奏でる音が思いがけない和音を響かせるような状態として描く。家、車、オフィス、店と、バラバラに区切られた屋内を渡り歩く生活に対して、徒歩ではすべてが連続的であり、歩く人は空間の隙間にも滞在し、世界の全体に生きている、と。頭ではやりたくないと考えている仕事に、身体は従事しなければならない——そうした身体と思考の分裂は、誰もが日常的に経験しているだろう。しかし、自らの意思と足取りで歩みを進めているあいだ、両者は有機的に結びつき、世界との主体的な関わりを取り戻すことができる。分けないままでいるための、きわめて具体的な方法がそこにあった。

リサーチはいくつかの文献を軸に進めた。ヘンリー・デイヴィッド・ソローの「そぞろ歩き(sauntering)」と「野生(the wild)」、歩行者こそが「都市を実践する者」であり、その迂回や近道はひとつの戦術であるというミシェル・ド・セルトーの視点、そしてティム・インゴルドによる「輸送」と「徒歩旅行」の区別。歩くこと自体を創造的実践として捉える系譜は、ボードレールのフラヌールとベンヤミンによるその理論化を経て、リチャード・ロング、ハミッシュ・フルトン、フランシス・アリスへと連なっている。

2023年からの1年間はパリ国立高等美術学校へ交換留学し、この系譜の出発地で調査と制作を行った。とりわけ参照したのは、ギー・ドゥボールを中心とするシチュアシオニスト・インターナショナルの「心理地理学」と「漂流(デリーヴ)」である。生活のすべてが表象としてしか存在しなくなった社会をスペクタクルと呼んだ彼らの批評は、アルゴリズムが経験を最適化して配り届ける現在においてこそ有効ではないか。革命の街であり歩行者の街でもあるパリを実際に歩きながら、そう考えた。

このリサーチは、2024年11月の個展「流されずに流されていく」(コートヤードHIROOガロウ、令和6年度文化庁メディア芸術クリエイター育成支援事業)と、修了制作作品解説「流されずに流されていく——主体的な漂流・受動的な応答——」(主査:八谷和彦/副査:小沢剛・西尾美也)としてまとめられた。修了作品は4点で構成されている。《スマホ1台旅》(2017–)は、スマートフォン1台だけを携えて国境を越え、意図的な無防備さのなかで起こる偶然に即興で応答する試み。《Are you looking for something?》(2022)は、店員の「何かお探しですか」という問いかけを脱線させ、購買へ導くはずの会話を哲学的な対話へと転じさせるパフォーマンス。《The Railway Walk》(2024)は、迷いの場である森のなかに敷かれた線路——効率と直進性の象徴——の上を、不安定に歩く。《Swept along, but not swept away》(2024)は、259の国と地域のポストカードを1枚ずつ手渡し、鑑賞者自身を漂流の主体へと反転させるインストラクションである。

「流されずに流されていく」展示風景(第73回 東京藝術大学 卒業・修了作品展、東京藝術大学大学美術館、東京)
「流されずに流されていく」展示風景(第73回 東京藝術大学 卒業・修了作品展、東京藝術大学大学美術館)

歩行と移動をめぐるこの関心は、大学の外にも展開している。2021年からは、KDDI総合研究所の研究拠点 FUTURE GATEWAY において、移動に対する心理的な障壁とその解きほぐし方を検討する共同研究を行った(詳細は「スマホ1台旅」のページに記している)。2025年からは、日本たばこ産業(JT)D-LAB と、歩くことを起点とした現代アート作品の制作に向けた共同研究を開始した。

一連のリサーチの結論として述べたのは、システムの外へ完全に離脱することでも、抵抗し続けることでもなく、そのなかに身を置いたまま、なお予測不可能性と偶然性の余地を見出しつづけるという態度である。ソローはそれを「途上にあり続ける生き様」と呼んだ。目的を先に据えるのではなく、自分を超えるものの到来に身を委ねることによってこそ、目的が発見されていく。この探求は現在も続いている。