Statement_日本語
山口は「何にも分れないまま生きる方法」を主題として、テキスト、ダンス、映像、パフォーマンス、公共空間への介入を通じて、集団に内在する複雑な社会的構造を可視化し、それらを変容する方法を探求している。
制作はまず都市文脈と歴史のリサーチ、特定の個人への聞き取りなどから始まり、使用するメディアの選定と、メタファーとして転換するコンセプトの抽出を行う。皮肉とユーモア、時に詩的な表現を用いる山口の作品には、デカルトの合理主義哲学への批判的な眼差しがある。西洋思想は観察する自己(主体)と観察される他者(客体)を分離することで科学技術を発展させてきたが、主客分離による世界認識の限界性は、昨今の分断が加速する状況を見ても明らかである。
そうした認識方法に対して仏教を主とした東洋思想、とりわけ近代に活躍した日本の哲学者・西田幾多郎の主客合一および純粋経験の概念と、禅を英語翻訳し海外に広めた鈴木大拙の「霊性」に影響を受けている。山口と同じ石川県出身である彼らの思想のルーツを、石川の原風景から探求するリサーチ活動も行っている。また、フランスの思想家・映画作家のギー・ドゥボールの理論も取り入れている。著書「スペクタクルの社会」の中で、情報権力の世界化および単一化、それによって大衆が情報を受信するだけの観客となり、生活のすべてがメディア上の表象として存在する社会を批判した。ドゥボールが中心となって活動したシチュアシオニスト・インターナショナルが提唱する「心理地理学(psychogéographie)」と、都市で実践した「漂流(dérive)」は、山口のパフォーマンスに影響を与えている。
山口は自身のアイデンティティが記号・階層化されることに対して抵抗を示しており、《Are you looking for something?》(2022年)では、「何かお探しですか?」という店員からの決まり文句のような質問に対して「生きる意味」と答えるなど、会話を意図的に脱線させることを試みる。《The Railway Walk》(2024年)では、敷かれたレールから外れ、道に迷いたい(しかし迷うことができない)という葛藤を表現している。山口のこうした考えは、美術家として活動を始める以前から「プロ無職」という皮肉的な肩書きを名乗っていた頃から一貫している。また、《スマホ1台旅》(2017年)では、複雑なパワーダイナミクスを持つ国境をテーマとして扱っており、日本から外国へ、手ぶらで越えていくパフォーマンスを行っている。
東西の思想を現代社会の文脈の中で再解釈しなから、都市やメディアが与えるスペクタクルのイメージの隙間を縫うように歩き、個人が持つ本来性を発見することで「何にも分れないまま生きる方法」を実現できると考えている。
2024年6月18日 更新